劇場版 五等分の花嫁 レビュー・感想
先日、「劇場版 五等分の花嫁」を映画館で鑑賞。結論、
「こんな学生生活、羨ましい!」
「かわいいの暴力!目が!!!目が!!!」
「四葉がいい子すぎる!泣いてまうやろう!」
と鬼滅越えを信じたくなる神映画。今回は、劇中に「かわいいの暴力」と感じた箇所を3箇所+おまけを記事にします。
1.敗戦の一花
まずは、一花。学園祭終了後にフータローが付き合う相手を決めますが、一花だけは敗戦確定の消化試合。5人の中で1人だけ、「諦め」を感じさせる悲壮感が漂っている。
しかし、公園でのキスシーンに細胞が反応。「え?キスシーンは一強じゃない?」と私は泣いているんか、笑っているのか。気持ち悪い表情で考えていた。
敗戦が確定しているのに
「長女であろうとする立ち振る舞い」
「頭では『もう無理だな』と理解しているのに心はまだフータローが好き」
という仕草・立ち振る舞い・言葉選び・・・。素晴らしい!私の中の「メイドイン・アビス」のボンドルド卿がスタンディングオベーションで「素晴らしい!」と連呼していました。
長女として強くあろうとする姿、素直になれない不器用さ。一花はもっと評価してもいいキャラだと思います。過ちを起こしましたが、
「一花を許してあげられるぐらいじゃないと男じゃない。」
と挑戦状を叩きつけられている・・・そんな気がします。めちゃくちゃ可愛かったです。
私は、恋愛経験が豊富な方ではないですが、「一花と付き合ったら5人中、一番、面白いだろうな」と思います。毎日が将棋やチェスのような言葉のやりとりができそうでワクワクします。(将棋もチェスも弱いですが)
2.いい子すぎるだろ!四葉
この映画は、なんと言っても競馬の第三コーナーから見事にまくった四葉が主役と言っても過言ではない!自分勝手の振る舞いからの後悔・・・姉妹のための自己犠牲の精神・・・人間が人生の中で失敗したこと、後悔したことを見事に代弁してくれている素晴らしいキャラです。
私は、皆さんに問いたい。
「四葉と同じ立場で『明るく、元気』でいられます?」
ちなみに私は無理です!すぐに弱音は吐くし、欲望のために他人を傷つけてしまうのはある程度は仕方ないと考えています!
四葉は、フータローとの「勉強して給料のいい会社に入る」という約束を守れなかったことを気にしていますが、「大丈夫だよ!」と老若男女問わずに劇中のみんなが心で叫んだと思います。若いのに「環境」や「人間関係」とかではなく、失敗した原因を「自分」でとらえてしまう内向的な性格が表面上の「明るく元気」と対比して本当にかわいい。
四葉を見ていると「短所と長所は紙一重」と再確認できる。私も何か失敗すると原因は自分にあるのではないか・・・」と自分を責める傾向がありますが、
「自分を責める」
→
「周りを責めずに頑張っている!えらいな!」
と思えました。フータローもそんな四葉の性格に惚れた所もありますし、
現実は、私と四葉では、周りの反応は月とスッポンですけどね!
3.五月「どうしましょう!?」
真面目に勉強し、真面目にストーリーを進行してくれた五月。しかし、大学入試判定が「D」の時や教室でフータローと密接した時の恋心を思わせるような描写・・・ 「惚れてまうやろ!」
目が「><」になる時の仕草が素晴らしい!恋の戦争に参加していない五月であの破壊力・・・さすがです。 五木も含め、オープニングの水着をじっくりと見たかったこたは全国民の総意。
おまけ
おまけでは五等分の花嫁のストーリーとは関係ない。感想を述べます。ズバリ、
「客層に若い男の子が多い!」
→
この刺激に耐えられるのか?
→
少子化問題にとどめになるのでは? と切実に思った。
こんな高刺激のアニメーションを見た後にリアル世界に戻れるのか?」と不安。 学生で見たら「彼女、欲しい!」と思うか「どうせリアルは・・・」と考えが二極化しそう。
私が若い頃と比べてアニメ映画の客層が老若男女いるのは面白いが、アニメが日本の人口問題のトドメにならないが、心配になる。
まとめ
「かわいいの暴力」によるある意味、鬼滅越えしている作品。「五等分の花嫁」のようなラブコメが全国ロードショーで見れて「生きやすい世の中になったな」と痛感。2度目は、1番前でキスシーンを眺めよう